『モモ』と父の本棚

まもなく5歳になる娘は最近ひらがなを覚え、絵本も長いものも聞いていられるようになってきた。そろそろ絵の無い長い物語を連日読んでいこうと思ったときふとミヒャエルエンデの『モモ』を思い出した。

自分が子どもの頃に映画見た断片的な記憶しかないけれど、女の子が主人公のファンタジーということは覚えていて、時間の概念も出てきた娘には「時間泥棒」という言葉も面白いだろうと思った。

同時に実家の父親の本棚に『モモ』があったことも面白い出した。

父の本棚。高校生の頃だったかふと見た父の本棚はビジネス書ばかりだったと思う。その中に一冊『モモ』があった。手は伸ばさなかったけれど何となく記憶していた。

 

15年振りに父の本棚を覗く。すぐにあると思った『モモ』は見つからなくて、既に定年退職しているのに相変わらずビジネス書がある。その中に「シュタイナー教育」に関する本が見つかった。父親は小さい頃からよく遊んでくれたものの仕事は忙しく家事はしない人であった。

育児にも興味が無いと思っていたので意外だった。自分もシュタイナー教育的なものは受けた記憶はない。

妻がそうだったように、女性は出産の際に自分の母親から「母親の体験」を教わるのではないか。実際妻は娘を妊娠しているときに母親から自分の母子手帳を見せてもらったり、体験を聞いている。

翻って僕はといえば父から自分が父親になる際に何かを教わってはいない。母親曰く「あの人(父)は出産の時は仕事だったわよ」。でも自分の父が悪いとは思わない。団塊の世代父親たちで子どもの出産に立ち会った人の割合はきっと今出産に立ち会う父親たちよりも少ないはずだ。そうした僕らは自分の父親から育児ついて何か受け継いでいるだろうか?

 

このブログを書きはじめた理由の一つは上記のような経緯で、自分が父親としてどのようにして育児に向き合っていけばいいのかを記録しようと思うからである。